工房案内
守り続けてきた信条
初代青郊(1910-1965)は寺井(現能美市)の小作農集落で九谷焼職人であり、滋賀県などへ九谷焼の被き売りを生業としていた父親のもとで一職人としての出発をしました。
当時の業界では寺井出身の陶画工・九谷庄三が採色金襴手とよばれるきらびやかな九谷焼をつくりだし、人気を博していましたが初代青郊は、九谷焼本来の古九谷に始まる和絵の具を使用した表現への志向を本筋とし、出発当時から和絵の具の研究に没頭しています。
その研究成果の和絵の具を使用した作品で、戦前の日展である文展にも入選し、北白川家お買い上げの栄も賜り、一時は工芸作家への道を歩み始めましたが、第二次世界大戦の社会状況に陥り、戦後復員後は父親の勧めもありあえて一般商品メーカーブランドの確立を目指しての商品開発に転向しました。
その後の青郊窯は次の信条を理念として現在に至っています。
青郊窯の信条
- 和絵の具を使用した古九谷の流れを継ぐ表現
- 工芸品九谷焼としての品質向上を徹底し、妥協の生産はしない
- 九谷焼独自の優美さを市場が受け入れやすい価格で提供する事
この信条はその後の2代青郊(1947-)、3代青郊(1974-)はもちろん昭和59(1984)年発足の株式会社青郊「九谷青郊窯」の商品開発理念とし受け継がれています。
工芸作家商品と一般商品の違い
工芸作家は製作工程の時間や原価にはこだわらないのが普通です。一般商品開発は市場性の追及が重要なため、量産過程での工数や原材料原価に注力します。
当然の事ながら工芸作家商品は価格相応の品質を保持しますが品質は一定しません。
一般商品は生産工程が一定しているので品質は安定しやすい長所もあります。
双方に共通するのは、商品そのものの顔と購入価格とのバランスに対する納得感が得られるかが決め手となります。
どちらの商品も大きな納得感を得られる要素と失望する要素を持ち合わせます。